2011/07/30

大理でまったり

さて、大理に来て三日目くらいか。
大理自体にさほど、突出した見所はないように思える。
しかし、居心地がいいのだ。
多すぎない人々。
日差しは強いが、カラッとした湿度は、日陰でそよ風に当たるだけで気持ちいい。 大理に着いた翌日は、宿で知り合った、二人の中国人と蒼山という大理のすぐそばにある山に早朝より登った。
ひとりは、30歳の若者で復旦大学卒のエリート公務員。
もうひとりは、40歳過ぎの石家荘で大学の英語講師をしている女性。


ロープウェイなどもあるが、登山道も整備されていて、割と簡単に登ることが出来る。


ただ、このときは、登山中に強い雨が降ってきてしまい、途中で下山を余儀なくされた。


それでも、霧や雲で見え隠れしている街の眺めは最高だった。

また、夜には、昼間では想像もできないほど、人でにぎわう。
昼間は気温はそれほど高くはないが日差しが強いために、あまり人々は出歩かなかっただけのようだ。


それでも、大理の古城自体は広く、整備されているために、大混雑というようなことにはならない。
麗江などの古城では一日中大混雑で、前に進むのも苦労をするほどなのだ。
大理の名物は白族の地元料理と大理にある洱海という湖で取れる魚など。
知り合った中国人たちと堪能した。
ただ、味は香辛料が多すぎて、元がなんの魚なのか判別すらできないほど。

また、昔は少数民族の商人を含め、多くの商人が、日本人に対して日本語で
「安い安い!刺繍(ししゅう)刺繍!」
などと、商魂たくましかったもんだが、現在は中国人観光客の方がはるかにシェアがあるために、そのような血のにじむような努力をする商人がいなくなってしまったのが少しさびしい? また、観光地の入場料も、外国人用料金と、中国人用料金と分かれていてその価格差はかなりのものだったが、現在の中国経済の状況にそのような設定などもはや無用だ。

さてさて、もうしばらくは、ここ大理でまったり暮らそう。



大理の街中でドラマらしき撮影をしていた。
シチュエーションは、露天でモノを売るシーン。


地元のオッちゃんが、本物の売り場と勘違いして、入ってきてNGを出していたのには笑った。

2011/07/27

大理

今日は、朝からバスで、麗江から大理へ移動。
運賃50元ほどで所要4時間。
大理もおなじように、やはり古城という領域がある。
しかし、ほとんど普通の街といった感じ。


やや、城っぽさがあるものの、もはや古城と呼べるのか疑問。
古城の中には普通にバスや車が走り、歩行街もかなり広く、整備されている。
また、シャングリラや麗江の古城のようにやたら入り組んで迷うようなこともまずない。
碁盤の目というわけでもないが、非常にわかりやすい地理となっている。


小生は迷うことなく、ユースへたどり着く。
大理はかなり、過疎っている気がする。
ドミトリーも結構どこも空いているようだ。
小生もすんなり入ることが出来た。
今回の宿は、春夏秋冬青年旅館というところで、数年前にできたばかりとのこと、確かに、きれいで、便所も合格点である。



泊まるドミトリーの部屋に入ると、中国人の男が一人すでに休んでいた。
聞くと、福建からきたそうで、しばらくの間、雲南近辺を周遊してるのだという。
そして、何故かこの男、中国人女性と欧米人女性を二人、彼女のように連れていた。
その二人の彼女も同じドミトリーの部屋で、三人で英語や中国語でしゃべったくっていた。。
こやつ、只者ではない、、、。
さて、小生もここの旅館のテラスでまったりネットをする。


すると突然、中国人女性が話しかけてきた。
なんと、デジカメのSDカードがいっぱいになってしまったので、手持ちのUSBフラッシュメモリに、このネットブックでコピーしてほしいとのこと。
見ると4GのSDカードだ。それが満杯ってことは、USBメモリにコピーするだけで20分ほどはかかる。
そういうお願いって結構勇気がいると思うのだが(いやむしろ、しらない日本人同士ならまずしないお願いだろう)中国人にはごく普通のことなんだろうか?
若くて可愛かったので、無論快諾してしまったがな。。。
年のころは、23,4くらいか?
深圳から来ていて雲南省を旅行中だとのこと。
コピー中の30分の間、旅行の話をいろいろ聞くことができた。
、が大胆なお願いをしてくる割には、結構シャイだった。

2011/07/26

玉龍雪山~束河古鎮

今日は朝から、麗江の目玉とも言うべき、玉龍雪山へ行ってみた。
標高5596Mで、天気がよければ、麗江のいたるところから見ることが出来る。
麗江の中心街からも15キロくらいしか離れておらず、割と気軽に行ける。
また、タクシー風乗り合いバスも出ており、街から15元で行けた。


玉龍雪山はロープウェイが通っており、なんと標高4506M地点まで手軽にいけてしまう。
ロープウェイは、数百元するので、小生は登るのを諦めた。
天候も曇っており、ふもとから山の全容を望むことは叶わなかった。
周回を回るバスで谷などを見て、すぐに帰った。


17年ほど前に訪れた時の風景が頭をよぎり、懐かしい気分になった。


引き続き、麗江の人気スポットのもうひとつ、束河古鎮という少数民族ナシ族の古い村を訪れた。
村といっても、観光地化されており、入り口に門もある。(門票は無料)
雰囲気は、やはり古城のように石畳が張り巡らされ、同様にみやげ物屋や食堂がならんだようなところ。




ただ、麗江古城よりもぜんぜん圧迫感がなく、道は広々としており、歩いていて気持ちがいい所だ。


小生は、ここで、地元ナシ族料理を頂いた。



村の奥の方までいくと、ナシ族ののどかな暮らしが垣間見れるような素朴な風景が広がる。



また、村の広で少数民族のダンスショーも見ることが出来る。


ここはのどかで、かなり気に入ってしまった。



ほどなくして、宿のある古城へと戻る。
なにげなく、古城の城内を歩いていると、四方街という広場で、なんと火把節が行われていた!!
昨日ではなく、今日だったのか!!


しかしながら、内容は正直、日本の小さな町の祭りの盆踊りのような感じであった。。。
イメージとは違ったが、まあこんなものか。

麗江火把節

今日は麗江の古城内で夜8時から火把節(たいまつ祭)があるとのことで、遠出はせずに、近場の名所黒龍潭公園に赴いてみた。
その公園は、古城と石畳の道でつながっており、散歩感覚でいける。
入場は無料で、そこそこ広く、整備された公園だ。
(しかし麗江では古城維持費として80元徴収され、その領収書の提示をほとんどの観光スポットで求められる)
古城の用水となる大きな池がメインになっている公園で、古城内ほどではないが観光客でにぎわっていた。


その公園内の一角に、トンパ文字研究所というところがあった。
なにげなく入ってみると、入り口に民族衣装を身にまとった年の頃は16歳くらいの少女が、中を案内しますと言って、館内に飾られたトンパ文字の歴史や展示物の説明をしてくれた。
そして、館の二階に案内されると、そこに、大きな仏壇にまつられた何かの像が中央に鎮座され、その横には怪しい呪い師みたいな服装を着た男が座っていた。
少女いわく、トンパ文字の先生なんだとか。
呪い師は、焼香をしなさいと、線香を三本よこし、小生は促されるままに、火のついたロウソクで線香に火をつけて、線香立てに差し込む。 そうすると、呪い師が、さあ座りなさい、文字を説明しようと言い出した。 小生は悪い予感がした。
たしかガイドブックに、突然無理矢理文字を指導しだし、後に授業料として法外な額を要求してくると読んだ記憶がある。 ここを辞退すると、呪い師は突然、用がないなら帰れと言い出した。 なるほど、このタイプの人なら確かに、金のことで揉めそうだと辞退して正解だと悟った。

この後、公園内を一通り回り、帰ろうとしたとき、突然の雷と雨で、雨宿りを余儀なくされる。
さすがに高原だけに天気の変化が激しい。
それから、待ちに待った火把節の時間がやってきた。
古城内の四方街というちょっとした広場で、火把節が開催されるとのことで行ってみる。。。
まだ日が暮れる前で明るい。
広場の中央に人だかりが見える。
人だかりの中をのぞいてみると、民族衣装を着た10人くらいの老婆が音楽に合わせて、円を描いて踊っているのが見えた。 そうかと思うと、すぐに解散された。
まだ明るいので、タイマツを灯して盛り上がるのはこの後だな、と思いずっと寒い中、広場の片隅で待っていた。
会場は、人の波。


しばらくすると四方でタイマツが灯る。
おお、いよいよだな!と思い、さらに待つ。
小一時間は待っただろう。 ところが、催しものらしきものがまったく始まらない。
まさか、と思いきや。。。 小生はてっきり、少数民族が、タイマツを持って盛大に踊る催しものだとずっと思っていた。。
しかし、ここ麗江での火把節は、小生の想像と違っていた。。 古城内のあちこちで、確かにタイマツは灯っていた。


しかし、ただそれだけであった。
こ、これが火把節??
がっかり。。。

2011/07/24

麗江

今朝、理想郷シャングリラをあとにする。
バスターミナルより麗江行きの切符を買う。63元。
来た時と違うルートだった。
断崖絶壁を望む道をどんどん下っていく。。。
標高が3000からマイナスになるのではないかというくらい永遠に。
そして窓に見える景色は、シャングリラで門票払って見学したどこの景区よりすばらしく、感動的なものであった、、、。
たしかに、中国地方政府が理想郷シャングリラはここの地がモデルである!と主張して改名までしてしまったのもうなずける、、、。

4時間ほどで麗江バスターミナルへ到着。
ターミナルから麗江にある、これまた古城のユースはわりと近かったため、歩いて突入。
しかし、シャングリラに比べて暑い、ジャンバーを脱ぐ。
麗江にもシャングリラ同様古城があり、麗江の古城の方が規模が大きく、かなり迷いながらなんとか、ユースにたどり着いた。
今の時期は、火把節というイベントがあるため、宿を確保するのは難しいだろうと思っていたが、あっさりと入れた。
シャングリラで世話になったユースよりはずっときれいで、古城独特の建物がそのままユースになっているような風情のあるユースだ。


旅装を解くと、そのまま麗江の古城を散策にでる。
麗江の古城の特徴は、やはり麗江に住む少数民族が築いた町というだけに、民族色の強い町並みで、その点でシャングリラの古城とは異なる。


また、麗江の古城の方が規模が大きいだけに、観光客の数も半端ない。
風情のある町並みが、ギュウギュウの人ごみで、ただのテーマパークと化していた。


腹が減ったので、ヤク肉の串焼きを買ってみる。
羊肉と三本セットで10元。
ちょっと高いが、まあ観光地だから止むを得まい。
まあ、とくに感じる味わいではなくオーソドックスな肉という感じ。
シャングリラもそうだったが、麗江でもそこらじゅうにヤクの干し肉屋がある。特産物らしい。

さて、火把節は明日に行われるとのことで、しばらく麗江に逗留して探索することにしよう。

2011/07/23

シャングリラ周遊

本日はシャングリラ市街周辺の名所を周遊する。
現在逗留しているユース(青果客桟)自体もシャングリラの独克宗古城という中にあり、一応名所とされていて、古城の中央には巨大マニ車と廟が小高い山の上に鎮座しており、チベットの雰囲気を醸し出している。


巨大マニ車。
遠くからみると不気味に鈍く回転している。
近くまで行ってみると、観光客が必死に下で廻していた。。。


古城の街中は、例によって土産屋がほとんどで、安い宿などもたくさんあり、予約なしでも安くて割といい部屋にありつけるだろう。

さて、今日は朝から、シャングリラ市街の近辺にある名所を巡ることにする。
まずは、ナパ海。



市街から程近い。
夏は草原で雨季になると草原が湿原と化して美しいらしい。
本日たずねた時は、残念ながら水量がかなり少なく、ただの草原であった。
そこに、民族衣装を着た女性たちが、馬を携え、観光客に馬で草原を巡るサービスをしていた。
草原そのものの規模もそこそこで草原と遠くに見える山のハーモニーが美しい名所だ。
ただ、ここも門票を取っており、60元した。
正直乾季に来る価値はほとんどないだろう。

続いて、市街よりすこし離れたところにある普達措国家公園に来た。
門票190元!!
正直、名所巡りは金持ちの道楽だとようやく気づき始めた小生であった。。。
さて、ここのメインは、高地にある湖が二つ。
標高3500Mの湖に遊歩道が続いており、ひたすら歩きながら景色を眺めるというもの。


遊歩道の距離も3キロコースと4.5キロコースがあり、高山も手伝って、途中でへばって倒れこむ人もちらほら見られた。
またここの公園自体、広大であり湖の遊歩道以外はほとんどシャトルバスで走り抜けるというもので、遊歩道よりバスに乗って眺めている所のほうが、景色がよかったりした。
だが、あえてシャングリラという名を冠しているこの地でここを訪れる価値はあまり無い気がする。
もっと、梅里雪山などあまり観光客が行かないようなところに赴かないと、シャングリラのよさがわからないのかもしれない。。
しかしながら、街の郊外の雰囲気は独特の草原と山並み、そしてチベット独特の建物をみることができる。
チベットに程近いこの地ならではの雰囲気は楽しめたのではないかと思った。

2011/07/22

昆明~シャングリラ

さて、昆明よりいよいよ、夜行の火車硬寝台でまずは麗江に向かう。
これからさらに高度を上げていくのにもかかわらず、寝酒にと調子にのって白酒なんかを買い込んでしまう。。。
夜行列車で麗江まで約9時間半。
それほどの混雑もなくスムーズに乗り込む。

夜行列車は例によって夜中の10時を過ぎると車内の電灯を消してしまう。
ほとんど真っ暗だ。
ところであまり中国では、夜行列車で酒を飲む人が少ない気がする。
ひとりでは飲みずらいので、小生の場合は、電灯が落ちてひっそりしてからこっそり起き出して白酒を飲み始めた。
寝台車両の通路側にある補助席にすわり、雲南の夜の風を浴びながら白酒を飲む。静寂の中、不規則にコトコト鳴る線路のサウンドを聞きながら。
これがまたたまらない。
とくに、このときは、みんなほとんど寝静まっていて静かに飲めた。

しばらくひとりで真っ暗な車窓を楽しんでいると、突然となりのベットから男が降りてきて、話しないかと言われ、向かいの補助席をおろして座った。
みたところは、小生と同世代くらいの少し痩せた男。
女房を江西に置いて4ヶ月ほど麗江に出稼ぎにいくのだという。
どんな仕事かは訛りがすごくてよく聞き取れなかったが、、、。
その後、少し盛り上がり、真っ暗闇の中、二人で白酒を回しのみしてすべて空けたところで、解散となった。
その日は、寝台ベットに入ると、すぐに眠りに落ちた。

翌朝、となりに座っていた初老のおじさんにたたき起こされ、いつの間に麗江駅についていた。
時刻は、5時半。
まだあたりは薄暗かったが、乗客はすでにぞろぞろと降りていた。
昨日一緒に飲んだ出稼ぎの男もすでにいなかった。 結構、飲んだわりにはさほど、酒は残っていない感じだった。
それにしても寒い。思わず、上着とジャンパーをザックから取り出し装備する。
麗江は街中で標高およそ2400M。
駅を出ると青いワゴン風のタクシーがずらりと並び、客引きをしていた。
あたりを見回しても、正規らしきタクシー乗り場もない。
ということはこの客引きが正規のタクシーなのだ。
ここにいたタクシーはみなこぞって同じデザインの水色ワゴンタクシー。
何人かの客を詰め込み、いっぱいになってから出発するというスタイル。 ほかの交通手段もなく、麗江駅もすこし郊外にあるため、タクシーを利用。
20元だった。
ちょっと高いが、まあ朝も早いし止むを得ない。

タクシーで着いたところは、麗江バスターミナル。
ここから、さらにシャングリラ行きのバスに乗り込むのだ。
切符はたしか50元くらい。
20人くらいが乗れるマイクロバスで、定刻になり出発。 虎跳峡という有名な川を縫うようにして道はシャングリラまで続く。
風光明媚な景色が続く。。。
4時間ほどすると、シャングリラのバスターミナルに到着。
バスを降りると、空気が薄いのをすぐに感じた。
シャングリラの街中で標高およそ3300M。
軽い立ちくらみを覚えながらも、まずは宿を確保するため、シャングリラにある古城の町中にあるユースに向かう。
ここも少し離れているため、タクシーを捕まえて移動。
8元。


ユースはすぐに見つかった。
予約はしてなかったがドミトリーを確保できた。
とりあえず2泊分の手続きをして、部屋へ。


比較的中国人が多く利用しているユースで欧米人は2割弱か。
また、久々に結構汚いユースであった。
トイレは男女共同で、水が出なくて汚物も流れない状態。。 ラウンジもなんだか乱雑と散らかっている。
しかし、ここにきて急に小生の容態が一変!
今までなんともなかったのだがいきなり強い吐き気を覚え、そして頭痛に目眩と、高山病なのか、二日酔いなのかわからないが立っていられなくなるくらいになり、ベットにダウン。
昼ごろから先ほどまで息苦しさで眠ることも出来ず、ただひたすらベットで苦しみと戦っていた。。。
ようやく、落ち着きを取り戻し、現在日記をかけるまでに復旧。
今日のドミトリーの部屋には中国人女性2人と中国人男性2人と小生という構成。
中国人だらけだ。
ここのユースでは看板娘の犬もいた。



2011/07/20

広州~昆明

さて、多少手段は強引だったが、なんとか国内線で昆明へ到達。
昆明までくれば、都会の喧騒も忘れ、まったりできるはず。
昆明は知られているとおり、春城とも言われ、一年を通して温暖な気候。
たしかに、湿気もなく、カラッとして爽やか。
標高1900Mの都市。
昆明へ着くなり例によって予約なしの飛び込みでユースに乗り込んでみる。
昆明にはユースがいくつかあるが、まずは駝峰客箋という町の中心にあるユースをチョイスしてみる。
最初は、空きはないといわれたが、よく探すように言うと、空きがみつかる。
一見親切そうにみえるユースのスタッフとて油断してはいけないのだ。
なんとかここに宿を確保。
ドミトリーで会員価格35元。
広州にくらべたら天国だ。







昆明は、ここを起点に大理や麗江、そしてシャングリラなど観光スポットが目白押し。
昆明自体も居心地がいいので、ここでひとまず二泊して切符の購入など旅の準備をしながら旅程を練る。
今回はユースのサービスにて切符購入代行を依頼し二泊後の麗江行きの切符を確保。代行費20元。
正直、この区間の切符の入手はそれほど難しくはないのだが、また駅に行って並ぶのもいやだったので、代行を依頼してしまった。

さて旅程としてまず、昆明から一気にシャングリラに行き、その後、麗江、大理、と南下してまたここ昆明に戻ってきたい。
シャングリラまでは火車がないので、昆明から麗江まで火車で行き、麗江から先はバスに乗って行けるようだ。
まずは麗江まで行ってから考えるとしよう。 聞く所によると、大理で有名なパイ族による火把節(たいまつ祭)があるそうなので、それも是非見ておきたい。今月の24日に開催するらしい。

今日、大理シャングリラ方面へ行ってきたという、ユースで会った上海の院生の女性に数時間にわたり、いろいろと話を聞くことができた。
シャングリラで現地の人と仲良くなると、シャングリラから直接ラサに抜ける道を利用してチベット入りもできるというのだ。
これはかなりのマニアックな情報だ。
まあ、そううまくはいかないだろうが。。。

2011/07/18

香港~広州

香港にて4日ほど滞在。
ビクトリア湾の夜景をみたり、九龍公園でまったり太極拳をみたり、そして飲茶をしたりと、香港を普通に満喫。 そして17日の昼より香港(九龍)~広州東を結ぶ火車(汽車)にて中国広州へ上陸。運賃190HK$。
入出境もスムーズでした。

さて、目的地は広州ではなく、とりあえず去年行けなかった昆明に行くことにしたので、広州東駅に着くなり、長途列車の切符売り場へと行き、切符を買うための行列に並ぶ。
ここの駅では10日後までの切符を購入できるようだ。
列に並ぶこと1時間、ようやく自分の番が回ってきて、いざ昆明行きのチケットを買おうとするが、やはりというか完全に売り切れでかろうじて、三日後の無座だけあるという、、、。
広州から昆明までは火車で約25時間ほど。
さすがにしょっぱなからこの試練はないなと思い、夜も更けてきたのでひとまず陣を引く。 するといきなりの激しい雷雨に見舞われ、あまつさえ空きのある宿が見つからない。
10件くらい回ってようやく空き部屋のあるホテルに命からがらチェックイン。
この時すでに夜の9時前であった。。。  広州は、ホテル代など物価が高く、無駄に長居はできないので、その翌日の今日、旅行会社に行き、なんとか昆明行きを早急に手配できないか尋ねると、すぐに行きたいなら飛行機しかないとのことで、火車好きの小生としてはいささか遺憾ではあるが、やむを得ず初の国内線に乗ることにした。
明日のフライトだと格安がないのでチケット代1450元也。
かなり高いが、一日のホテル代が経済的ホテルでも300元前後する広州で、数日後の格安チケット(といっても数百元くらいしか安くない)を待つよりはるかにお得だ。
そこで、航空券を手配してもらう。手配代50元。
ちなみに火車などのチケットの手配代行の相場は20元ほどらしい。 こうしてようやく昆明行きのチケットをゲットし、本日のホテルへ帰着。
ここのホテルも320元とかなりの出費。
とてもパッカーのする行動ではない、、。

さて、香港ではどこでもWiFiがたいてい使えたが、中国の経済ホテルなどでは、まだまだ有線LANが健在である。
こういうときに持って行っておきたいのが、画像のポータブルWIFIルータ。
本日のLAN環境の模様だ。
手のひらで握りつかめるほどの小さいサイズで、これはいわゆるSIMが入るようなモバイルポケットWIFIではなく、一般のLAN回線がひとつあればそれを手軽にWIFIに変換してくれるという優れモノ。ACアダプタも不要で、USBバスパワーにて動作。
小生の場合は、無線の恩恵にあずかるためにUSB電源アダプタを使用。
こいつは特にWIFI接続できるスマホユーザーには非常に恩恵があるだろう。

2011/07/16

初香港

昨日から日本より香港入り。
去年はネットオタクとしては丸腰の携帯電話のみという醜態をさらしてしまった。
今回の旅の友は、ネットブック。
こいつを相棒に、旅日記を綴っていきたい。
今後の予定としては、香港から、深圳、昆明、成都、と北上し、チベット、ウルムチなんかもチャレンジできればと思う。
さらには東北三省にも行ってみたい。

今日の宿は、重慶(ちょんきん)ビルにある安宿。
個室、空調トイレシャワーwifi完備。
かなり狭いがまあまあ快適。
150HKドル。(1600円くらい?) 香港にはあと二日ほど逗留してからシンセンに行こうかな。