20日夕方。
和田もとくに見所が無いという結論になり、早々に移動。
今度はウィグルの北部を目指す。
まずは和田から库尔勒(クアラ)へバスで移動。
およそ13時間ほどの道のり。
W上海に切符の手配を任せたら、豪華高速寝台のバスを購入していた。。。
330元也。
空調付きで結構快適。
和田から北上するバスは、タクラマカン砂漠を北へと一気に抜けていく。
途中、警察の安全検査が2度ほどあり、深夜でも容赦なく叩き起こされる。
やはり、日本人だとかなり警戒される。
かなりしつこく、どこから来たのか、どこへ行くのか、目的はなにか、ひとりでいくのか、根掘り葉掘り聞かれ、さらにどっかの本部へ電話を掛けては、この日本人を行かせていいかの許可を取っている。
新疆は移動するたびにこれなので、かなりしんどい。
なにしろ、後ろでは機関銃を絶えず構えた武警が立っているのだ。
また、途中のトイレ休憩も、トイレらしいものも無く、女性でも普通に野糞だ。
幸いこのときは、下痢はだいぶ回復していたので、事なきを得ている。
13時間後。
早朝に库尔勒客运站(バスターミナル)へ到着。
特になんの変哲も無い街。
軽く、包子や粥を食べて、再び移動。
そのままここのバスターミナルから、和静というところへ移動する。
移動時間は2時間程度で、14元。
さらに、和静バスターミナルからバーインブルクというところへ移動。
草原が綺麗な観光地で、今回の目的地のひとつだ。
和静バスターミナルは結構閑散としており、バーインブルク行きのバスも客が満席にならないと出発しない。
結局3時間ほど、待たされた後、ようやく出発した。
マイクロバスで、20人乗りくらいか。55元。
当初、5時間程度で目的地へ到着すると聞いていたが、道の工事が多く、なんと10時間以上も掛かって到着した。
その間、まるでオフロードコースのような砂利道を50キロ以上も走るという試練があった。
そしていくつもの苦難を乗り越え、ようやく和田からバーインブルクへ到着した。
すでに真っ暗になっていたので、町の様子がよくわからないが、かなり閑散としたさびしい街だ。
街といっても、ほとんどひとつの大きな通りに店やホテルが少しあるだけで、周りは畑や草原が広がっているのみである。
もう、夜も遅いので、このまままっすぐホテルへ向かう。
190元ほどのツインベッド標準間を確保。
小生は、上海エリートとベッドを共にするつもりだったが、彼が男同士で寝るのを頑なに拒否。
上海女が私のベッドで寝ていいよ、というので、お言葉に甘えて、また彼女とベッドを共にする。
前回のダブルベッドよりかなり小さいベッドなので、さらに距離が近づく。
どきどき。
もちろん、なにも起きないわけだが。。。
翌朝、滅多に降らない雨が降る。
たが、通り雨だったらしく、結構本降りだった割にはあっさりと止んでいい天気に。
荷物をまとめ、宿から程近い、バーインブルクの草原へ出かける。
バーインブルクはかなり寒い。
早朝は2度くらいで、昼間でも18度にも届かない。
上海女は、分厚い大衣を買い込んで装備していた。
小生もフル装備だ。
30分ほど歩くと、国家AAAA級と書かれたバーインブルク景区にたどり着いた。
かなり閑散としている。
というより、我々以外に観光客は誰もいない。
門票が108元。
当然彼らW上海は、逃票などしない。
門の中に入ると、専用のシャトルバスがあり、それに乗り込んで移動する。
景区内には、湖や河、草原などいくつかの見所があり、それぞれ行きたい所にバスで連れて行ってくれる。
我々は、草原と河が綺麗だという景区へ移動。
この園内移動だけでも50キロ以上はあるというでかさ。
しかもその園内に、何故か村なんかもある。
よくわからないが、シャングリラの草原より規模がかなりでかい。
別格である。
とにかく、起伏がない草原で遠くまで見渡せ、しかも遠くに雪山をも望める。
ここの広さ、美しさには感動した。
馬に乗り、草原を駆け巡る。60元。
観光客もほとんどいないので、とてもリラックスできる。
苦労して来た甲斐があったというものだ。
久々に気分が晴れた一日であった。
2011/08/27
2011/08/25
カシュガル~和田(ホータン)
翌朝(19日)。
カシュガルは特に見所はないという結論になり、カシュガルから南東にある和田に向かうことになった。
カシュガルから和田へは最近汽車の線路が開通したとのことで汽車で向かうことにする。
ところが、ヒッチ野郎だけはカシュガルにひとり残るとのこと。
上海エリートと上海女はやたら食事が豪勢だ。
ヒッチはAA制(割り勘)なのでお金が持たないとぼやいていた。
小生的にも食費が一人頭50元超えというのは正直痛いが、払えない額でもない。
小生は、この上海組と同行することにしたのだ。
さらに、カシュガルから和田までの汽車も、9時間程度の道のりで夜を越す時間帯を走るわけではないのにもかかわらず、W上海は寝台を確保。(普通席の数倍の運賃)
このあたりも、ヒッチには耐えられないところだろう。
かくして、我々3人パーティは、寝台でまったりしながら、和田へと旅立つ。
しかし、寝台車とはいえ、空調はなしで車内は異常に暑い。
さらには、砂漠の砂が車内に入り込むからと窓も完全封鎖。
サウナ状態だ。 この試練をなんとか乗り越え、無事和田駅へ到着する。
時刻は大体20時頃。
当然まだまだ空は明るい。 和田駅は少し郊外にあるため、タクシーで街中へ移動。
和田もやはりウィグル族が大半を占めており、カシュガルと雰囲気がよく似ている。
さて、まずは宿の確保だ。
いくつかの宿を、外国人だから、という理由で断られ、やっとの思いで外国人OKの宿にたどり着く。 我々三人は、なんとかダブルベッドの標準間を確保した。
部屋に入ると、トイレとシャワールームが部屋からガラス越しにすけすけに見える。
上海女は、こんなの無理!とごねるが、上海エリートは電気を消したら見えないよ!と必死で説得。
確かに、よく見えない。 上海女は電気を消してシャワーを浴びる。
続いて、上海エリートも同様に電気を消した状態でシャワー。
小生は、電気を消すことなく堂々と、シャワーを浴びた。
さて、3人でダブルベッドにどうやって寝る?
男二人がベッドで女がソファー?
あまりにもむごい。
では、男女がベッドで男一人がソファー?
それも危険だ。。。。
しかし、結局、小生と上海女がベッドを共にし、上海エリートがひとりソファーで寝ることになった。 ちょっとわくわくどきどきした一日だった。
さて翌日。 和田では何が見所なのか。
とくにない。。。
和田市街に程近い河川にある玉(ぎょく)拾いがトレンディーとのことで、行ってみる。
少し緑色に濁った水が流れ、丸い石がごつごつした河川だ。
ここでなんか適当に、よくわからん石拾いをして終わった。。。
石拾い場所では、詐欺まがいの玉売りが押し売りをしていた。。。
カシュガルは特に見所はないという結論になり、カシュガルから南東にある和田に向かうことになった。
カシュガルから和田へは最近汽車の線路が開通したとのことで汽車で向かうことにする。
ところが、ヒッチ野郎だけはカシュガルにひとり残るとのこと。
上海エリートと上海女はやたら食事が豪勢だ。
ヒッチはAA制(割り勘)なのでお金が持たないとぼやいていた。
小生的にも食費が一人頭50元超えというのは正直痛いが、払えない額でもない。
小生は、この上海組と同行することにしたのだ。
さらに、カシュガルから和田までの汽車も、9時間程度の道のりで夜を越す時間帯を走るわけではないのにもかかわらず、W上海は寝台を確保。(普通席の数倍の運賃)
このあたりも、ヒッチには耐えられないところだろう。
かくして、我々3人パーティは、寝台でまったりしながら、和田へと旅立つ。
しかし、寝台車とはいえ、空調はなしで車内は異常に暑い。
さらには、砂漠の砂が車内に入り込むからと窓も完全封鎖。
サウナ状態だ。 この試練をなんとか乗り越え、無事和田駅へ到着する。
時刻は大体20時頃。
当然まだまだ空は明るい。 和田駅は少し郊外にあるため、タクシーで街中へ移動。
和田もやはりウィグル族が大半を占めており、カシュガルと雰囲気がよく似ている。
さて、まずは宿の確保だ。
いくつかの宿を、外国人だから、という理由で断られ、やっとの思いで外国人OKの宿にたどり着く。 我々三人は、なんとかダブルベッドの標準間を確保した。
部屋に入ると、トイレとシャワールームが部屋からガラス越しにすけすけに見える。
上海女は、こんなの無理!とごねるが、上海エリートは電気を消したら見えないよ!と必死で説得。
確かに、よく見えない。 上海女は電気を消してシャワーを浴びる。
続いて、上海エリートも同様に電気を消した状態でシャワー。
小生は、電気を消すことなく堂々と、シャワーを浴びた。
さて、3人でダブルベッドにどうやって寝る?
男二人がベッドで女がソファー?
あまりにもむごい。
では、男女がベッドで男一人がソファー?
それも危険だ。。。。
しかし、結局、小生と上海女がベッドを共にし、上海エリートがひとりソファーで寝ることになった。 ちょっとわくわくどきどきした一日だった。
さて翌日。 和田では何が見所なのか。
とくにない。。。
和田市街に程近い河川にある玉(ぎょく)拾いがトレンディーとのことで、行ってみる。
少し緑色に濁った水が流れ、丸い石がごつごつした河川だ。
ここでなんか適当に、よくわからん石拾いをして終わった。。。
石拾い場所では、詐欺まがいの玉売りが押し売りをしていた。。。
2011/08/24
カシュガル
17日。
数日間、ウルムチに滞在し、どうやらカシュガル方面も治安にさほど問題ないという情報を信じ、汽車でカシュガルへ向かうことにする。
比較的カシュガルへ向かう人は少ないのだが、寝台切符が入手できず、硬座で行くことに。ちなみに、移動時間は28時間ほど。
久々に硬座の洗礼を受けることになりそうだ。。。
朝の9時頃に出発だ。
面子は、例のヒッチハイク野郎、
そして、なんと大理で知り合って雨の日の蒼山に一緒に登った上海人の男が、QQで連絡をよこしてくれ、急遽上海からウルムチに飛行機で観光に来るとのことで、またウルムチにて合流、一緒にカシュガルにもいくことに。
そして、また改めてウルムチユースで知り合った上海人女性もひとり加わり、合計4人パーティを組んで、いざカシュガルに出陣することにした。
ヒッチハイク野郎は前回解説したとおりの人物で、命知らずの豪傑。
上海人の男は、30歳で復旦大学卒のエリート公務員。
そして上海人女性は、32歳で現在仕事をやめて旅をしていて、日本好きということで独学で日本語も勉強していたらしく、日本語を選考していたヒッチ野郎に負けずとも劣らない日本語会話力を堅持していた。
このウルムチという中国大陸の端っこの4人パーティのうち、2人の中国人が日本語を操るという驚くべき環境のなかでの新たなる旅がスタートした。
小生とヒッチ野郎は同じ硬座の席で、上海エリートは寝台を確保しており、上海女性も小生たちとは別の車両だが硬座での乗車となった。
さて、相変わらず、硬座車両は荒れている。
ウィグル族が8割を占めていたが、彼らは見かけによらず行動が大胆で大騒ぎしたりして田舎の中国人と行動はあまり変わらない。
久々に、硬座車両による試練を受けることとなった。。
あまつさえ、またもや何を食べるでもなく腹を下している小生は大行列の硬座車両のトイレに並び、ひたすら我慢しながら、順番を待つ。
無論、順番をきちんと守る彼らではない、油断しているといつまでたっても便器にありつけない。
その間にどこかの駅に到着すると、トイレは閉鎖されてしまうため、さらに腹の激痛と漏れそうな糞を我慢しながらひたすら耐えるということを繰り返す。
ほとんど徹夜でこの地獄の状態が続いた。。。
・・車窓はひたすら荒野と砂漠が続いている。
28 時間後、ようやくカシュガルに到着。時刻は正午ころか。
駅の外に出ると厳戒態勢であり、軍隊などが、絶えず機関銃を構えて立っている。
思わず、カメラで撮影するも、突然警官がやってきて、今撮った写真を削除しろ、とカメラを取り上げられ、中身をチェック、削除されてしまった。
かなり厳しい。。。 聞いてみると、なんと14日にも暴動が起きており、警官が殺されているとのこと。 しかも我々一行が泊まる、ユースの近くで事件は起きたとのことだ。
正直、徹夜で糞まみれの小生は、もはやそんなことよりはやくユースに帰って休みたかった。
睡眠不足と腹痛との戦いで朦朧としていた。
とりあえず、我々一行は駅からバスでユースへ直行。
カシュガルで有名なエイティガール寺院のすぐ近くにある、ユース「老城青年旅舎」にて男女混合のドミトリー部屋を確保。
意外にも、この物騒な街の中で、ユースの中では、欧米人が多く滞在していて、陽気に楽器で歌などを歌っていた。
小生は、疲労でベッドにばたんきゅう。
3人は、昼飯を食べにどこかへ出かけたようだ。
気付くとその日の夜20時過ぎ、、、
ちなみに、新疆では、北京時間と新疆時間が存在しており、人によって、どちらかを選んで使っている。
ウルムチでは北京時間のほうがメインだったような気がする。
カシュガルのウィグル族の人の多くは新疆時間を採用している模様だ。
新疆時間は、北京時間より2時間ほど遅れている。
んで、20時過ぎというのは北京時間でのことだ。
カシュガルでもやはり22時を過ぎても空が暗くならないところだ。
目を覚ますと3人は部屋の中でおのおの何かをしており、目を覚ました小生をみると身体は大丈夫か?
晩飯いけるか?
などと聞いて来る。
まだ身体はだるく、胃も重かったが、このままなにも食べないと体力が持たないので多少無理してでも食べに行くことにした。
ユースからほど近い新疆料理屋に来た。
適当に麺類や羊肉などを注文していたが、胃が重い小生はほとんど食べることができなかった。 また、ウィグル族の女性ウェイトレスはほとんど普通語をしゃべることができず、中国語で注文してもまったく理解してくれずに、リーダー格のウェイターがやってきて通訳していた。
もともと、カシュガルの街自体、ウィグル族が9割以上を占め、また観光客もそれほど多くは無いので、仕方が無いといえば仕方がないのかもしれない。
食べ終わり、ユースに戻ろうとする頃、ようやく夜のとばりが降りてきた。
街はかなり薄暗くなり、物騒な雰囲気をかもし出している。
実際、事件が起こっている場所なので、本当に物騒だ。
警官や軍隊が絶えず巡回している。
漢民族は目立つし、標的となっているので、足早にユースへと戻った。
数日間、ウルムチに滞在し、どうやらカシュガル方面も治安にさほど問題ないという情報を信じ、汽車でカシュガルへ向かうことにする。
比較的カシュガルへ向かう人は少ないのだが、寝台切符が入手できず、硬座で行くことに。ちなみに、移動時間は28時間ほど。
久々に硬座の洗礼を受けることになりそうだ。。。
朝の9時頃に出発だ。
面子は、例のヒッチハイク野郎、
そして、なんと大理で知り合って雨の日の蒼山に一緒に登った上海人の男が、QQで連絡をよこしてくれ、急遽上海からウルムチに飛行機で観光に来るとのことで、またウルムチにて合流、一緒にカシュガルにもいくことに。
そして、また改めてウルムチユースで知り合った上海人女性もひとり加わり、合計4人パーティを組んで、いざカシュガルに出陣することにした。
ヒッチハイク野郎は前回解説したとおりの人物で、命知らずの豪傑。
上海人の男は、30歳で復旦大学卒のエリート公務員。
そして上海人女性は、32歳で現在仕事をやめて旅をしていて、日本好きということで独学で日本語も勉強していたらしく、日本語を選考していたヒッチ野郎に負けずとも劣らない日本語会話力を堅持していた。
このウルムチという中国大陸の端っこの4人パーティのうち、2人の中国人が日本語を操るという驚くべき環境のなかでの新たなる旅がスタートした。
小生とヒッチ野郎は同じ硬座の席で、上海エリートは寝台を確保しており、上海女性も小生たちとは別の車両だが硬座での乗車となった。
さて、相変わらず、硬座車両は荒れている。
ウィグル族が8割を占めていたが、彼らは見かけによらず行動が大胆で大騒ぎしたりして田舎の中国人と行動はあまり変わらない。
久々に、硬座車両による試練を受けることとなった。。
あまつさえ、またもや何を食べるでもなく腹を下している小生は大行列の硬座車両のトイレに並び、ひたすら我慢しながら、順番を待つ。
無論、順番をきちんと守る彼らではない、油断しているといつまでたっても便器にありつけない。
その間にどこかの駅に到着すると、トイレは閉鎖されてしまうため、さらに腹の激痛と漏れそうな糞を我慢しながらひたすら耐えるということを繰り返す。
ほとんど徹夜でこの地獄の状態が続いた。。。
・・車窓はひたすら荒野と砂漠が続いている。
28 時間後、ようやくカシュガルに到着。時刻は正午ころか。
駅の外に出ると厳戒態勢であり、軍隊などが、絶えず機関銃を構えて立っている。
思わず、カメラで撮影するも、突然警官がやってきて、今撮った写真を削除しろ、とカメラを取り上げられ、中身をチェック、削除されてしまった。
かなり厳しい。。。 聞いてみると、なんと14日にも暴動が起きており、警官が殺されているとのこと。 しかも我々一行が泊まる、ユースの近くで事件は起きたとのことだ。
正直、徹夜で糞まみれの小生は、もはやそんなことよりはやくユースに帰って休みたかった。
睡眠不足と腹痛との戦いで朦朧としていた。
とりあえず、我々一行は駅からバスでユースへ直行。
カシュガルで有名なエイティガール寺院のすぐ近くにある、ユース「老城青年旅舎」にて男女混合のドミトリー部屋を確保。
意外にも、この物騒な街の中で、ユースの中では、欧米人が多く滞在していて、陽気に楽器で歌などを歌っていた。
小生は、疲労でベッドにばたんきゅう。
3人は、昼飯を食べにどこかへ出かけたようだ。
気付くとその日の夜20時過ぎ、、、
ちなみに、新疆では、北京時間と新疆時間が存在しており、人によって、どちらかを選んで使っている。
ウルムチでは北京時間のほうがメインだったような気がする。
カシュガルのウィグル族の人の多くは新疆時間を採用している模様だ。
新疆時間は、北京時間より2時間ほど遅れている。
んで、20時過ぎというのは北京時間でのことだ。
カシュガルでもやはり22時を過ぎても空が暗くならないところだ。
目を覚ますと3人は部屋の中でおのおの何かをしており、目を覚ました小生をみると身体は大丈夫か?
晩飯いけるか?
などと聞いて来る。
まだ身体はだるく、胃も重かったが、このままなにも食べないと体力が持たないので多少無理してでも食べに行くことにした。
ユースからほど近い新疆料理屋に来た。
適当に麺類や羊肉などを注文していたが、胃が重い小生はほとんど食べることができなかった。 また、ウィグル族の女性ウェイトレスはほとんど普通語をしゃべることができず、中国語で注文してもまったく理解してくれずに、リーダー格のウェイターがやってきて通訳していた。
もともと、カシュガルの街自体、ウィグル族が9割以上を占め、また観光客もそれほど多くは無いので、仕方が無いといえば仕方がないのかもしれない。
食べ終わり、ユースに戻ろうとする頃、ようやく夜のとばりが降りてきた。
街はかなり薄暗くなり、物騒な雰囲気をかもし出している。
実際、事件が起こっている場所なので、本当に物騒だ。
警官や軍隊が絶えず巡回している。
漢民族は目立つし、標的となっているので、足早にユースへと戻った。
2011/08/20
ウルムチ 天池
15日。
ウルムチ市街からバスなどで2時間ほどのところにある天池という湖と山が綺麗で中国のスイスとまで謳われる観光地に行ってみる。
ウルムチを代表する観光地のひとつで、門票も190元と高い。
聞くところによると、「ウルムチに来て天池に行かないのは遺憾であるが、行ったら行ったで後悔する。」という詩がこのあたりの旅人の間で語り継がれている。
たいしたものではない、ということらしい。 そこでユースで知り合った、ヒッチハイク野郎と一緒に天池の逃票にチャレンジしてみることにする。
このヒッチハイク野郎はラサからウルムチまでヒッチハイクだけで移動してきたというつわもので、歳は23歳。さらには広州出身で大学で日本語を専攻していたようで、多少問題はあるが日本語を話すことができる。
日本語検定も1級を取得している。 この男と二人で、日が昇る前の早朝にウルムチのユースから天池に向けて出発。
まずは、北郊バスターミナルへ移動。
まだ公共バスが走っていない時間なので、歩いて移動。
5~6キロほどか。
さらに、北郊バスターミナルから、天池がある町、阜康のバスターミナルへ移動。
バス代10元ほど。一時間ほどで到着。
引き続きそこからさらに、タクシーを拾い天池がある景点へ移動。
15元くらい。
到着したそこは、かなり郊外にあり、大きな門が構えてありそこが入り口となっている。
その入り口で門票を買うのだが、今回はヒッチハイク野郎と逃票にチャレンジするので、正門から入るわけにはいかない。
門の横に工事用の入り口があったので、そこから侵入。
かなりあっけなく門の中に入ることに成功。
門の中では、観光景区内専用のシャトルバスが並んでおり、門票を買った観光客たちを次々と運んでいる。 われわれは逃票で侵入しているので、バスに乗るわけにはいかない。
ひたすら、天池を目指して道路を歩くことになる。
ヒッチハイク野郎の情報によると、およそ、10キロほど歩くことになるという。
まあ、190元払うくらいなら10キロくらいなら歩いてやろうと、道を歩き出す。
ちなみに、逃票をしていたのは我々二人だけのようだ。
かなり目立つがバスが通る道路の脇をひたすら歩き続ける。
バスに乗っている観光客たちにじろじろ見られる。
陽射しもかなり強い。
水も携帯していかなかった我々にはかなり堪える。 数キロほど歩くと、天池への案内板が見えてくる。
「天池 26キロ」
ぶぅっ??!!
10キロくらいじゃないの?? かなり面食らった。
26キロだと徒歩でいったい何時間かかる?
だがいまさら引き返すわけにもいかず、前進するしかなかった。
さらに、道路をしばらくいくと、関所というかまたゲートがあり、徒歩での侵入を阻むカタチとなっている。
当然、門票を持たない我々は、最初の入り口同様、門を迂回して入らなければならない。
迂回するにもかなり急な山に囲まれている。
しかし登るしかない。 正直ここまでくると、逃票を後悔していた。
20キロ以上を炎天下の中、ひたすら歩く上に崖崩れ寸前の山を超えていかなければならない。
しかし、ヒッチハイク野郎はものともせずに崖を登っていく。
当然ロープも無いその崖登りは一歩間違えれば、落下して帰らぬ人になることは必定。
だが、ここまできて引き返すわけにはいかない。
行くしかないのだ。。。
下に見えている白い建物が関所。
苦難を経て、4時間後ほどで、ようやく天池へ到着。
後半、登山用ルートが設置されており、道路での道程を多少短縮できたのは幸いであった。
さて、肝心の天池であるが、まあまあ悪くは無かった。
苦労してたどり着いたのが幸いしたのか、砂漠を彷徨ってオアシスを発見した喜びとでもいえようか。
画像ではあまり綺麗に見えないが、湖の水も結構綺麗で、天池から流れる大きな滝などもあり、結構満足はできた。
さて帰りだが、どうする?
また、20キロ以上歩いて帰るのか?
さすがに、帰りは、帰りのバス代だけ払って帰ることにした。
もちろん、門票はなぜ持って無い?などと聞かれるが、紛失した、とかガイドと一緒にツアーできたがはぐれてしまって、持って無いとか説明し、なんとかバスで帰ることができた。
帰りの街のバスターミナルからの道程では、警察の検閲に引っかかってバスを止められてしまい、30分以上ロスしてしまった。
やはり、ウルムチの警備は厳しいようである。
その後はユースにもどり、近くの夜市で羊肉串などで乾杯。
ウルムチ市街からバスなどで2時間ほどのところにある天池という湖と山が綺麗で中国のスイスとまで謳われる観光地に行ってみる。
ウルムチを代表する観光地のひとつで、門票も190元と高い。
聞くところによると、「ウルムチに来て天池に行かないのは遺憾であるが、行ったら行ったで後悔する。」という詩がこのあたりの旅人の間で語り継がれている。
たいしたものではない、ということらしい。 そこでユースで知り合った、ヒッチハイク野郎と一緒に天池の逃票にチャレンジしてみることにする。
このヒッチハイク野郎はラサからウルムチまでヒッチハイクだけで移動してきたというつわもので、歳は23歳。さらには広州出身で大学で日本語を専攻していたようで、多少問題はあるが日本語を話すことができる。
日本語検定も1級を取得している。 この男と二人で、日が昇る前の早朝にウルムチのユースから天池に向けて出発。
まずは、北郊バスターミナルへ移動。
まだ公共バスが走っていない時間なので、歩いて移動。
5~6キロほどか。
さらに、北郊バスターミナルから、天池がある町、阜康のバスターミナルへ移動。
バス代10元ほど。一時間ほどで到着。
引き続きそこからさらに、タクシーを拾い天池がある景点へ移動。
15元くらい。
到着したそこは、かなり郊外にあり、大きな門が構えてありそこが入り口となっている。
その入り口で門票を買うのだが、今回はヒッチハイク野郎と逃票にチャレンジするので、正門から入るわけにはいかない。
門の横に工事用の入り口があったので、そこから侵入。
かなりあっけなく門の中に入ることに成功。
門の中では、観光景区内専用のシャトルバスが並んでおり、門票を買った観光客たちを次々と運んでいる。 われわれは逃票で侵入しているので、バスに乗るわけにはいかない。
ひたすら、天池を目指して道路を歩くことになる。
ヒッチハイク野郎の情報によると、およそ、10キロほど歩くことになるという。
まあ、190元払うくらいなら10キロくらいなら歩いてやろうと、道を歩き出す。
ちなみに、逃票をしていたのは我々二人だけのようだ。
かなり目立つがバスが通る道路の脇をひたすら歩き続ける。
バスに乗っている観光客たちにじろじろ見られる。
陽射しもかなり強い。
水も携帯していかなかった我々にはかなり堪える。 数キロほど歩くと、天池への案内板が見えてくる。
「天池 26キロ」
ぶぅっ??!!
10キロくらいじゃないの?? かなり面食らった。
26キロだと徒歩でいったい何時間かかる?
だがいまさら引き返すわけにもいかず、前進するしかなかった。
さらに、道路をしばらくいくと、関所というかまたゲートがあり、徒歩での侵入を阻むカタチとなっている。
当然、門票を持たない我々は、最初の入り口同様、門を迂回して入らなければならない。
迂回するにもかなり急な山に囲まれている。
しかし登るしかない。 正直ここまでくると、逃票を後悔していた。
20キロ以上を炎天下の中、ひたすら歩く上に崖崩れ寸前の山を超えていかなければならない。
しかし、ヒッチハイク野郎はものともせずに崖を登っていく。
当然ロープも無いその崖登りは一歩間違えれば、落下して帰らぬ人になることは必定。
だが、ここまできて引き返すわけにはいかない。
行くしかないのだ。。。
下に見えている白い建物が関所。
苦難を経て、4時間後ほどで、ようやく天池へ到着。
後半、登山用ルートが設置されており、道路での道程を多少短縮できたのは幸いであった。
さて、肝心の天池であるが、まあまあ悪くは無かった。
苦労してたどり着いたのが幸いしたのか、砂漠を彷徨ってオアシスを発見した喜びとでもいえようか。
画像ではあまり綺麗に見えないが、湖の水も結構綺麗で、天池から流れる大きな滝などもあり、結構満足はできた。
さて帰りだが、どうする?
また、20キロ以上歩いて帰るのか?
さすがに、帰りは、帰りのバス代だけ払って帰ることにした。
もちろん、門票はなぜ持って無い?などと聞かれるが、紛失した、とかガイドと一緒にツアーできたがはぐれてしまって、持って無いとか説明し、なんとかバスで帰ることができた。
帰りの街のバスターミナルからの道程では、警察の検閲に引っかかってバスを止められてしまい、30分以上ロスしてしまった。
やはり、ウルムチの警備は厳しいようである。
その後はユースにもどり、近くの夜市で羊肉串などで乾杯。
2011/08/14
ウルムチ
結局、昆明ではなにもせず、どこにも出かけず、ユースのラウンジでボーっとすごしてしまった。。。
そして、13日朝9時頃に宿を出て、空港に向かう。
蘭州経由のウルムチ行きだ。
定刻どおり、12時前に離陸。ウルムチには17時前には着いた。
思ったより暑くなかったが、それでも昆明から比べると体感で5~10度くらい暑い。
日差しは強いがやはり湿度は低いため、割りと快適な空気だ。
空港は閑散としており、ほとんど人がいない。
たいていの空港では出口を出ると、たくさんの迎えの人やホテル、黒タクシーの呼び込みがあるがそれすらほとんどない。
暴動の影響なのだろうか?
誰も並んでいない正規タクシー乗り場より余裕でタクシーに乗り込み、ウルムチ市街に移動。
市街を少しさ迷い歩きながら、ウルムチのユース新疆白樺林国際青年旅舎にたどり着く。
ここのユースは欧米人と中国人の割合が半々くらいか。
大きな公園に面しており、環境はなかなかよい。 そして、結構新疆を自転車で回る人も多いようで、チャリダーも多く泊まっていた。
また、ヒッチハイクだけで、ラサからウルムチまで来たという豪傑もいた。
さて、予約ナシで通されたドミトリー部屋は、地下室にあり、非常に狭くて窓もなく真っ暗でほとんど監獄のようであった。
その監獄で知り合った、中国人3人と小生で新疆料理を食べに行く。
3人とも広州から来た学校の先生とのことで、夏休みの今の時期、結構旅先で教師に出会うのだという。
ちなみに女性二人が小学校の先生、男性は中学の先生とのこと。
教師の癖に、ためらいも無く旅先での逃票の方法を自慢していた。
さて、地元でも人気があるというウィグル料理屋に行くと、入り口で安全検査の係りの人がいて、かばんの中身をチェックされた。
見た目は平和そのものの街も多少は警備に目を光らせているらしい。
たいていどこの店も入り口でバックの中身をチェックされる。
カルフールでも同様だった。
その新疆料理だが、ボリュームもたっぷりでうまい!
正直、他の中華料理との区別はあまりつかなかったが、ウィグル独特の料理とのことで堪能した。
4人で行って、大体ひとり30元ほど。
さらに、夜のウルムチ市街を歩くと、台湾の夜市のようなところがあったり、夜遅くまですごくにぎわっている。
というのもウルムチでは今の季節日が暮れるのが22時くらいで、夜中の0時を過ぎても、ずっと賑わっている。
とても暴動を警戒している状況には見えない。
さらにユースのラウンジにしても、夜中の2時過ぎまでは、みんな普通に起きて酒を飲んでいた。
たいていのユースのラウンジは0時前には消灯されてしまう。
小生も、その知り合った中国人と夜中遅くまで、賭けトランプをしていた。
余談だが、トランプの大富豪(闘地主という)の中国式ルールだが、何度説明を受けても意味不明であった。。。
蘭州経由のウルムチ行きだ。
定刻どおり、12時前に離陸。ウルムチには17時前には着いた。
思ったより暑くなかったが、それでも昆明から比べると体感で5~10度くらい暑い。
日差しは強いがやはり湿度は低いため、割りと快適な空気だ。
空港は閑散としており、ほとんど人がいない。
たいていの空港では出口を出ると、たくさんの迎えの人やホテル、黒タクシーの呼び込みがあるがそれすらほとんどない。
暴動の影響なのだろうか?
誰も並んでいない正規タクシー乗り場より余裕でタクシーに乗り込み、ウルムチ市街に移動。
市街を少しさ迷い歩きながら、ウルムチのユース新疆白樺林国際青年旅舎にたどり着く。
ここのユースは欧米人と中国人の割合が半々くらいか。
大きな公園に面しており、環境はなかなかよい。 そして、結構新疆を自転車で回る人も多いようで、チャリダーも多く泊まっていた。
また、ヒッチハイクだけで、ラサからウルムチまで来たという豪傑もいた。
さて、予約ナシで通されたドミトリー部屋は、地下室にあり、非常に狭くて窓もなく真っ暗でほとんど監獄のようであった。
その監獄で知り合った、中国人3人と小生で新疆料理を食べに行く。
3人とも広州から来た学校の先生とのことで、夏休みの今の時期、結構旅先で教師に出会うのだという。
ちなみに女性二人が小学校の先生、男性は中学の先生とのこと。
教師の癖に、ためらいも無く旅先での逃票の方法を自慢していた。
さて、地元でも人気があるというウィグル料理屋に行くと、入り口で安全検査の係りの人がいて、かばんの中身をチェックされた。
見た目は平和そのものの街も多少は警備に目を光らせているらしい。
たいていどこの店も入り口でバックの中身をチェックされる。
カルフールでも同様だった。
その新疆料理だが、ボリュームもたっぷりでうまい!
正直、他の中華料理との区別はあまりつかなかったが、ウィグル独特の料理とのことで堪能した。
4人で行って、大体ひとり30元ほど。
さらに、夜のウルムチ市街を歩くと、台湾の夜市のようなところがあったり、夜遅くまですごくにぎわっている。
というのもウルムチでは今の季節日が暮れるのが22時くらいで、夜中の0時を過ぎても、ずっと賑わっている。
とても暴動を警戒している状況には見えない。
さらにユースのラウンジにしても、夜中の2時過ぎまでは、みんな普通に起きて酒を飲んでいた。
たいていのユースのラウンジは0時前には消灯されてしまう。
小生も、その知り合った中国人と夜中遅くまで、賭けトランプをしていた。
余談だが、トランプの大富豪(闘地主という)の中国式ルールだが、何度説明を受けても意味不明であった。。。
2011/08/09
大理~昆明、そしてウルムチへ
結局、双廊から大理に戻ってから4日ほど、だらだらしていた。
山ガールの彼女も、シャングリラからさらに北にある梅里雪山に登山するための装備をそろえたいから、と、なかなか大理を出発しない。
小生も小生で、なんとなく、彼女の様子を見ながら、だらだら、動かずにいた。。。
その間この大理のユースにひとりの若い男性の日本人旅行者と出会った。
なんでも、東京で小学校の先生をしているとのことで、夏休みを利用して二週間ほど、中国を旅してるのだという。
学校の先生は夏休みが長くてうらやましい、、、。
と、旅ニートの小生がつぶやいてみる。
大学時代、一年ほど、中国語を習ったことがあるそうで、ごく基本的な会話はできるそうだ。
山ガールとも簡単な会話を交わしていた。
彼は、東京→北京から飛行機で、昆明に入り、大理、麗江、シャングリラと向かい、シャングリラからさらに飛行機でシーサンパンナまで向かうという。
大胆かつ華麗なルートだ。
彼とは、いろいろ飲みながら、粛々と話しをして別れた。
さて、本日ようやく、彼女と小生は、それぞれの旅路へとついた。 今朝8時に彼女は宿を出て、大理→シャングリラ行きのバスに乗って出て行った。
小生も続いて10時ごろ、大理→昆明行きのバスに乗り込んだ。
およそ、5時間ほどで、またもとの昆明へと舞い戻ってきた。
昆明の宿もまた、数週間前にお世話になった同じユース「駝峰客桟」だ。
あいかわらず、ここは欧米人が多い。
今日は欧米人9割、中国人1割くらいだろうか。
さてさて、今後の旅先についてだ。
いろいろ考えて、結局、今回はチベット行きはあきらめざるを得なくなった。
現時点ではチベット行きは、金がかかりすぎる。
正攻法で行くとざっと見積もっても6000元を超える勢いだ。
その上、いろいろな縛りがあり、自由に行動できない。
もうすこし時代がよくなったときに改めて来れれば来ようと思った。
んで、残されたもう一つの道が、新疆ウイグル自治区だ。
多少、暴動があったとはいえ、行き来に制限もなく自由だ。
じゃあ、昆明からどのように行こう?
順当に考えると汽車で昆明→西安(所要3日)
西安→ウルムチ(所要3日)
時間がかかるのはいいのだが、切符が手に入らない! もはや、大胆に昆明から直接ウルムチに乗り込むか!
という勢いで、ここのユースでウルムチ行きの飛行機のチケットを取る。
13日発で空港使用料込みでズバリ2600元!!
かなり痛いが、今は勢いが大切なので思い切ってチケットをゲットする。
ということで、また、13日まで、ここ昆明でだらだらすごすことになるのだろう、、、。
昆明で、どっかいい観光スポットないかしら。
無論、門票かからないところで。。。
昆明ではなんと知るひとぞ知る雲南白薬の専門店があった!
山ガールの彼女も、シャングリラからさらに北にある梅里雪山に登山するための装備をそろえたいから、と、なかなか大理を出発しない。
小生も小生で、なんとなく、彼女の様子を見ながら、だらだら、動かずにいた。。。
その間この大理のユースにひとりの若い男性の日本人旅行者と出会った。
なんでも、東京で小学校の先生をしているとのことで、夏休みを利用して二週間ほど、中国を旅してるのだという。
学校の先生は夏休みが長くてうらやましい、、、。
と、旅ニートの小生がつぶやいてみる。
大学時代、一年ほど、中国語を習ったことがあるそうで、ごく基本的な会話はできるそうだ。
山ガールとも簡単な会話を交わしていた。
彼は、東京→北京から飛行機で、昆明に入り、大理、麗江、シャングリラと向かい、シャングリラからさらに飛行機でシーサンパンナまで向かうという。
大胆かつ華麗なルートだ。
彼とは、いろいろ飲みながら、粛々と話しをして別れた。
さて、本日ようやく、彼女と小生は、それぞれの旅路へとついた。 今朝8時に彼女は宿を出て、大理→シャングリラ行きのバスに乗って出て行った。
小生も続いて10時ごろ、大理→昆明行きのバスに乗り込んだ。
およそ、5時間ほどで、またもとの昆明へと舞い戻ってきた。
昆明の宿もまた、数週間前にお世話になった同じユース「駝峰客桟」だ。
あいかわらず、ここは欧米人が多い。
今日は欧米人9割、中国人1割くらいだろうか。
さてさて、今後の旅先についてだ。
いろいろ考えて、結局、今回はチベット行きはあきらめざるを得なくなった。
現時点ではチベット行きは、金がかかりすぎる。
正攻法で行くとざっと見積もっても6000元を超える勢いだ。
その上、いろいろな縛りがあり、自由に行動できない。
もうすこし時代がよくなったときに改めて来れれば来ようと思った。
んで、残されたもう一つの道が、新疆ウイグル自治区だ。
多少、暴動があったとはいえ、行き来に制限もなく自由だ。
じゃあ、昆明からどのように行こう?
順当に考えると汽車で昆明→西安(所要3日)
西安→ウルムチ(所要3日)
時間がかかるのはいいのだが、切符が手に入らない! もはや、大胆に昆明から直接ウルムチに乗り込むか!
という勢いで、ここのユースでウルムチ行きの飛行機のチケットを取る。
13日発で空港使用料込みでズバリ2600元!!
かなり痛いが、今は勢いが大切なので思い切ってチケットをゲットする。
ということで、また、13日まで、ここ昆明でだらだらすごすことになるのだろう、、、。
昆明で、どっかいい観光スポットないかしら。
無論、門票かからないところで。。。
昆明ではなんと知るひとぞ知る雲南白薬の専門店があった!
2011/08/05
再び大理
双廊にもう一泊と結んだ前回の日記だが、結局、一泊せずに大理に戻った。
というのも、なにやら団体さんがいらっしゃったようで、気が付いたら宿を追い出されるカタチとなったからだ。
山ガールの彼女も同様、いっしょに大理に戻った。
大理に戻る前、、、。
双廊にたくさんある10数メートルの岩山、その岩山の上に、たくさんのサボテンが生えており、そしてそのサボテンは多くの実をつけている。
彼女は、その岩山に登って、実を採ってくるという。
登山だけでなく、クライミングも得意な彼女は、山ガールの野生の本能がその行動に駆り立てたのだろう。
岩山に登り、実を採ってきたのはいいが、誤ってサボテンに身体をこすりつけてしまったせいで、着ていた服に細かなサボテンの棘が無数に刺さってしまっていた。。。
また、服だけにとどまらず、手足にも無数の棘を刺して帰ってきて、無邪気に自分の失敗を笑っていた。。。
採ってきたサボテンの実の皮を剥いてくれて、小生に手渡してくれる。
大きさはこぶし大くらいで、緑色の実に黒いぶつぶつが付いている。
形は洋ナシに似ている感じか。
味はよく言えば、メロンのようだが、果肉の中に小さな硬い種がたくさん入っており、それがこの果実を食べにくくしている。。
大理の街中にも時々売っているのを見るが、正直金を払って買うものではない気がする。。。
さて、また、大理の古城に舞い戻ってきた。
宿も彼女と出会ったユース青年旅館をとることが出来た。 あとは、それぞれの行き先の切符を手に入れて、出発するのみ。
だが、居心地がよくて動く気がせず、まだ切符の手配もせずにまったりネットをしている有様。
どうしたものか。。。
大理ではこのタイプのトイレでも収費。
というのも、なにやら団体さんがいらっしゃったようで、気が付いたら宿を追い出されるカタチとなったからだ。
山ガールの彼女も同様、いっしょに大理に戻った。
大理に戻る前、、、。
双廊にたくさんある10数メートルの岩山、その岩山の上に、たくさんのサボテンが生えており、そしてそのサボテンは多くの実をつけている。
彼女は、その岩山に登って、実を採ってくるという。
登山だけでなく、クライミングも得意な彼女は、山ガールの野生の本能がその行動に駆り立てたのだろう。
岩山に登り、実を採ってきたのはいいが、誤ってサボテンに身体をこすりつけてしまったせいで、着ていた服に細かなサボテンの棘が無数に刺さってしまっていた。。。
また、服だけにとどまらず、手足にも無数の棘を刺して帰ってきて、無邪気に自分の失敗を笑っていた。。。
採ってきたサボテンの実の皮を剥いてくれて、小生に手渡してくれる。
大きさはこぶし大くらいで、緑色の実に黒いぶつぶつが付いている。
形は洋ナシに似ている感じか。
味はよく言えば、メロンのようだが、果肉の中に小さな硬い種がたくさん入っており、それがこの果実を食べにくくしている。。
大理の街中にも時々売っているのを見るが、正直金を払って買うものではない気がする。。。
さて、また、大理の古城に舞い戻ってきた。
宿も彼女と出会ったユース青年旅館をとることが出来た。 あとは、それぞれの行き先の切符を手に入れて、出発するのみ。
だが、居心地がよくて動く気がせず、まだ切符の手配もせずにまったりネットをしている有様。
どうしたものか。。。
大理ではこのタイプのトイレでも収費。
2011/08/04
大理~双廊
大理にずいぶんと長居してしまった。
そろそろ移動しなければと思いながら、山ガールの彼女が大理の洱海という湖の対岸に双廊という湖畔のスポットがあるというので、同行することにした。
大理古城から公共汽車を乗り継いで2時間強。
車窓に洱海が見え隠れする。
目的地双廊に近づくにつれ、道は悪路となり、舗装もされない道路が続き始め、おそらく今後も当分舗装されることもないだろうと思われるほどのど田舎の村。
双廊と呼ばれる村にバスは到着し、当然バス停らしきものもない道端に下ろされる。
到着したその地は、まさにに昔ながらの中国の素朴な村という感じ。
しかし、ところどころ、古い家々は工事で取り壊され、リゾート地として、開発を進めているようである。
素朴で貴重な村なのにもったいない。。。 無造作に立ち並ぶ家々。
下水も整備されていないのか、道には下水が垂れ流れている。
家畜と相まって、ものすごい異臭を放っていた。
こんなところに湖畔スポットがあるのか。。。? 古びた家々を眺めながら、入り組んだ細い道を進んでいく。
しばらく迷路のような細い道を行くと、突然開けたところに出て、湖が一望できるところに出た。
おお! ちょっとした、海のリゾート地のようだ。
規模こそ小さいが、建物なども別荘地のように、今まで通り抜けてきた家々とは別世界のようだ。 湖では、カヤック、そして泳いでいる人の姿もみえた。
およそ、大理のイメージとは異なるところだ。
湖のすぐ目の前に、ユース青年旅館「海地生活」はあった。
一号館から三号館まであり、現在もさらに着々と新しい棟を作っている。
今後、さらに発展をしていきそうな海辺スポットだった。
ただ、湖をよく見てみると、とても泳ぎたくなるような水質ではない。
なにしろ、村の汚水を湖に流している。
せっかく、今後、海辺スポットとして発展しようとも、水質が汚ければ、人は来なくなるだろう。
まずはこの汚水処理のほうを急いだほうがいいと思った。 ただ、湖は波もなく静かで、遠くに見える山々の風景を湖面に美しく映す。
人も多くなく、静かな避暑地という感じか。 大理に訪れたら、ついでに寄りたいスポットだ。
ただ、外国人はひとりもいなかった。。 また、まだまだ衛生面などで問題があるように思える。
食事にしても、小生が双廊に入ってからというもの、下痢が止まらなくなっている。
はっきり言って30分~1時間に一回はトイレに通う有様。
紙代だけでも容易ではない。
すでに、ここ双廊に3日ほどいるが、今現在執筆中にもすでに二回トイレに行っている有様だ。
洱海の海の幸が原因かしら。。。。 しかし山ガールの彼女は平気みたいだった。
彼女は、広州、上海にいたことがあるのにもかかわらず、大海を見たことがないとのことで、思いのほか、ここ双廊が気に入ったようだった。
日がな一日、ボーっと湖を眺めていた。
カヤックに乗ろうにもレンタル代が100元以上と高く、湖も汚いので泳ぐ気にはなれない。
はっきり言って、三日、四日もいるところではないと小生は思う。
正直二日もいれば飽きる。 彼女は、まだまだここでゆっくりしたいみたいなので、小生は先に大理に戻って新たな旅に備えなければならない。
腹痛(校門)も限界に近いし。。。。 ちなみに彼女は、今後は麗江へ向かい、そしてシャングリラ、そのさらに北をめざすという。
また、どこかで会えれば。
とはいえ、まだあと一日はここに滞在予定。。。。
そろそろ移動しなければと思いながら、山ガールの彼女が大理の洱海という湖の対岸に双廊という湖畔のスポットがあるというので、同行することにした。
大理古城から公共汽車を乗り継いで2時間強。
車窓に洱海が見え隠れする。
目的地双廊に近づくにつれ、道は悪路となり、舗装もされない道路が続き始め、おそらく今後も当分舗装されることもないだろうと思われるほどのど田舎の村。
双廊と呼ばれる村にバスは到着し、当然バス停らしきものもない道端に下ろされる。
到着したその地は、まさにに昔ながらの中国の素朴な村という感じ。
しかし、ところどころ、古い家々は工事で取り壊され、リゾート地として、開発を進めているようである。
素朴で貴重な村なのにもったいない。。。 無造作に立ち並ぶ家々。
下水も整備されていないのか、道には下水が垂れ流れている。
家畜と相まって、ものすごい異臭を放っていた。
こんなところに湖畔スポットがあるのか。。。? 古びた家々を眺めながら、入り組んだ細い道を進んでいく。
しばらく迷路のような細い道を行くと、突然開けたところに出て、湖が一望できるところに出た。
おお! ちょっとした、海のリゾート地のようだ。
規模こそ小さいが、建物なども別荘地のように、今まで通り抜けてきた家々とは別世界のようだ。 湖では、カヤック、そして泳いでいる人の姿もみえた。
およそ、大理のイメージとは異なるところだ。
湖のすぐ目の前に、ユース青年旅館「海地生活」はあった。
一号館から三号館まであり、現在もさらに着々と新しい棟を作っている。
今後、さらに発展をしていきそうな海辺スポットだった。
ただ、湖をよく見てみると、とても泳ぎたくなるような水質ではない。
なにしろ、村の汚水を湖に流している。
せっかく、今後、海辺スポットとして発展しようとも、水質が汚ければ、人は来なくなるだろう。
まずはこの汚水処理のほうを急いだほうがいいと思った。 ただ、湖は波もなく静かで、遠くに見える山々の風景を湖面に美しく映す。
人も多くなく、静かな避暑地という感じか。 大理に訪れたら、ついでに寄りたいスポットだ。
ただ、外国人はひとりもいなかった。。 また、まだまだ衛生面などで問題があるように思える。
食事にしても、小生が双廊に入ってからというもの、下痢が止まらなくなっている。
はっきり言って30分~1時間に一回はトイレに通う有様。
紙代だけでも容易ではない。
すでに、ここ双廊に3日ほどいるが、今現在執筆中にもすでに二回トイレに行っている有様だ。
洱海の海の幸が原因かしら。。。。 しかし山ガールの彼女は平気みたいだった。
彼女は、広州、上海にいたことがあるのにもかかわらず、大海を見たことがないとのことで、思いのほか、ここ双廊が気に入ったようだった。
日がな一日、ボーっと湖を眺めていた。
カヤックに乗ろうにもレンタル代が100元以上と高く、湖も汚いので泳ぐ気にはなれない。
はっきり言って、三日、四日もいるところではないと小生は思う。
正直二日もいれば飽きる。 彼女は、まだまだここでゆっくりしたいみたいなので、小生は先に大理に戻って新たな旅に備えなければならない。
腹痛(校門)も限界に近いし。。。。 ちなみに彼女は、今後は麗江へ向かい、そしてシャングリラ、そのさらに北をめざすという。
また、どこかで会えれば。
とはいえ、まだあと一日はここに滞在予定。。。。
2011/08/03
大理で再び登山
大理の夜、薄暗いラウンジで一人まったりビールを飲んでいると、ひとりの若い中国人女性が話しかけてくる。
聞くと、6月ころより広州から、桂林~雲南にかけて旅をしていて、とくに桂林では一ヶ月以上滞在して、ずっと山登りなどをしていたというかなりの山ガールのようである。
そして、ここ大理でも蒼山という山があるので登りにきたのだという。
小生はすでに蒼山には登ったのであるが、前回は天気が悪く景色がよくみえなかったことを伝え、翌日、朝7時より一緒に登る約束をして、その子は足早に床についた。(その山ガールは別のドミトリー部屋)
しかし、小生はというと、夜遊びから宿に帰ってきた連中の飲み会に合流。
中国語ぺらぺらのドイツ人を含め10人くらいで飲みまくる。
このときは、日本語を選考している中国人女学生もいて、大いに盛り上がった。
さて、翌日、小生は気合を入れて早起きをする。
6時半ころには目を覚まし、山登りの装備など準備を始める。
そして約束の7時になるが、彼女は起きてこない。。。 まさかの寝坊?それともすっぽかされたか? 昨夜に連中と飲み明かしているところを、彼女がトイレをする時などに見られていたので、行かないのだろうと思われたのだろうか? 時間が刻々と過ぎる。
まあ、彼女が来なくても、せっかく装備も整えたのでひとりで登ろう、と思い、念のため、8時まで待ってから出発しようと思ってラウンジで待機。
8時を過ぎた。
・・・出発するか。。 いや、あと5分くらいは待ってみる? と思っていたら、彼女が眠り眼をこすりながら部屋から出てきた。
待機していた小生の姿を見とめると
「ごめんなさい、すぐに準備します。」
言いながら、朝の身支度を始めだした。 ひとりでのさびしい登山にならずに、ほっとする。
結局出発は8時半をかなり過ぎた頃になる。
二人は、宿から歩いて30分ほどのところにある蒼山へと向かった。
この日は天気がすごくよかった。
彼女の装備は軽装で、靴は布製で靴下は履いていなかった。
また、顔が細いからと普段から伊達めがねもかけている。 小生は一応、ジャンバーを携帯し、そして念のために折りたたみの傘も積んできた。 前回は、少し登り始めただけですぐに雨が降ってしまい、なかなか登り進めることすらできなかった。
また、その時一緒に登った中国人女性の方が、体力がなく、登るペースがかなり遅れていた。
だが今回は違う。
彼女の登るペースは非常に早く、小生の方が疲れてしまい、ぜいぜい言ってしまう。
2時間くらいで山の中腹まで登ってしまった。
中腹までいくと、さらにそれぞれ、見所となる各所があったが、いくつかは閉鎖されていたため、行ける所のみ制覇する。
とくに龍眼洞(ドラゴンアイケーブ)と呼ばれるいかにも凄そうなところがあり行って見る。
そこには絶壁に、頼りなさそうな細い石の梯子が掛けてあり、その先に仙人の祠のようなところがみえる。
その細い石の梯子の下は、奈落の底だ。
右手に岩壁がある以外に左手は柵もなく吹き抜けであり、落ちたらいっかんの終わりだ。
彼女は、恐れることなく、さっさと進む。
おお、さすが山ガール!
と思いながらも、ここで小生がためらって行かなかったら恥じだぞこりゃあ、と意を決して渡る。
その先は、もっと怖い、奈落の階段がある。
階段といっても、形はかなり不ぞろいで40センチほどの幅のこれまた左手は柵もない奈落。
昨夜の雨で足元も滑りやすい。
しかし、彼女は、ためらいも無くあがって行く。
「う、うそだろぉう?!」
しかし、小生もためらってなどいられない。
続いて登っていく。
その先には、かなり怖いが絶景が広がっていた。
岩作りのまさに仙人の祠。
そして、大理の町と、遠くにみえる洱海をも一望できる。
さすが、ドラゴンアイケーブを謳うだけのことはある。
しばらくそこで、景色を堪能する。
ちなみに、ここまで登ってくる登山客はだれもいなく、ふたりでその場所を占有して楽しんだ。
また、中腹に戻り、山の中をひたすら歩いた。
そのとき、いろいろ彼女の話を聞くことができた。
もともとは、広州から上海へ行き、PCでフラッシュを使ったアニメ動画作成を仕事にしていたとのこと。
彼女の外見、行動からは想像できない。
しかし、上海の生活のストレスがいやになり、広州へもどり、今は、旅先で、バイトをしながら山のぼりや観光をする生活を続けているとのことだ。
また、ヒッチハイクで旅するなど、なかなかのツワモノだ。
さて、山には、野いちごや桃がなっている。
彼女は、無造作に野いちごを摘むと、なんのためらいもなく、それを口に放りこむ。
さすが山ガール。
それを小生にも勧めてくる。
正直、腹を壊したくない小生は、遠慮したが、屈託のない笑顔で勧めてくる彼女を断ることができなかった。
パクリ おお、う、うまい! 甘酸っぱくて、それは確かにイチゴの味であった。
また、彼女は植物の知識が豊富でいろいろと教えてくれた。
さらに珍しい植物の種を見つけると手にとって、持ち帰っていた。 驚いたのは、彼女は山に捨てられたペットボトルなども拾っていたのだ。
念のために書くが、別にペットボトルを集めて金にしようというのではない。山のごみを拾ってきちんと下山後にはゴミ箱へ捨てている。 都市部ではさすがに少なくなったが中国ではまだまだ、ごみを道路の放り捨てる奴が多い。
そんな中での彼女の行動には感動すら覚えた。
それから、彼女としばらく旅を続けることになる。
聞くと、6月ころより広州から、桂林~雲南にかけて旅をしていて、とくに桂林では一ヶ月以上滞在して、ずっと山登りなどをしていたというかなりの山ガールのようである。
そして、ここ大理でも蒼山という山があるので登りにきたのだという。
小生はすでに蒼山には登ったのであるが、前回は天気が悪く景色がよくみえなかったことを伝え、翌日、朝7時より一緒に登る約束をして、その子は足早に床についた。(その山ガールは別のドミトリー部屋)
しかし、小生はというと、夜遊びから宿に帰ってきた連中の飲み会に合流。
中国語ぺらぺらのドイツ人を含め10人くらいで飲みまくる。
このときは、日本語を選考している中国人女学生もいて、大いに盛り上がった。
さて、翌日、小生は気合を入れて早起きをする。
6時半ころには目を覚まし、山登りの装備など準備を始める。
そして約束の7時になるが、彼女は起きてこない。。。 まさかの寝坊?それともすっぽかされたか? 昨夜に連中と飲み明かしているところを、彼女がトイレをする時などに見られていたので、行かないのだろうと思われたのだろうか? 時間が刻々と過ぎる。
まあ、彼女が来なくても、せっかく装備も整えたのでひとりで登ろう、と思い、念のため、8時まで待ってから出発しようと思ってラウンジで待機。
8時を過ぎた。
・・・出発するか。。 いや、あと5分くらいは待ってみる? と思っていたら、彼女が眠り眼をこすりながら部屋から出てきた。
待機していた小生の姿を見とめると
「ごめんなさい、すぐに準備します。」
言いながら、朝の身支度を始めだした。 ひとりでのさびしい登山にならずに、ほっとする。
結局出発は8時半をかなり過ぎた頃になる。
二人は、宿から歩いて30分ほどのところにある蒼山へと向かった。
この日は天気がすごくよかった。
彼女の装備は軽装で、靴は布製で靴下は履いていなかった。
また、顔が細いからと普段から伊達めがねもかけている。 小生は一応、ジャンバーを携帯し、そして念のために折りたたみの傘も積んできた。 前回は、少し登り始めただけですぐに雨が降ってしまい、なかなか登り進めることすらできなかった。
また、その時一緒に登った中国人女性の方が、体力がなく、登るペースがかなり遅れていた。
だが今回は違う。
彼女の登るペースは非常に早く、小生の方が疲れてしまい、ぜいぜい言ってしまう。
2時間くらいで山の中腹まで登ってしまった。
中腹までいくと、さらにそれぞれ、見所となる各所があったが、いくつかは閉鎖されていたため、行ける所のみ制覇する。
とくに龍眼洞(ドラゴンアイケーブ)と呼ばれるいかにも凄そうなところがあり行って見る。
そこには絶壁に、頼りなさそうな細い石の梯子が掛けてあり、その先に仙人の祠のようなところがみえる。
その細い石の梯子の下は、奈落の底だ。
右手に岩壁がある以外に左手は柵もなく吹き抜けであり、落ちたらいっかんの終わりだ。
彼女は、恐れることなく、さっさと進む。
おお、さすが山ガール!
と思いながらも、ここで小生がためらって行かなかったら恥じだぞこりゃあ、と意を決して渡る。
その先は、もっと怖い、奈落の階段がある。
階段といっても、形はかなり不ぞろいで40センチほどの幅のこれまた左手は柵もない奈落。
昨夜の雨で足元も滑りやすい。
しかし、彼女は、ためらいも無くあがって行く。
「う、うそだろぉう?!」
しかし、小生もためらってなどいられない。
続いて登っていく。
その先には、かなり怖いが絶景が広がっていた。
岩作りのまさに仙人の祠。
そして、大理の町と、遠くにみえる洱海をも一望できる。
さすが、ドラゴンアイケーブを謳うだけのことはある。
しばらくそこで、景色を堪能する。
ちなみに、ここまで登ってくる登山客はだれもいなく、ふたりでその場所を占有して楽しんだ。
また、中腹に戻り、山の中をひたすら歩いた。
そのとき、いろいろ彼女の話を聞くことができた。
もともとは、広州から上海へ行き、PCでフラッシュを使ったアニメ動画作成を仕事にしていたとのこと。
彼女の外見、行動からは想像できない。
しかし、上海の生活のストレスがいやになり、広州へもどり、今は、旅先で、バイトをしながら山のぼりや観光をする生活を続けているとのことだ。
また、ヒッチハイクで旅するなど、なかなかのツワモノだ。
さて、山には、野いちごや桃がなっている。
彼女は、無造作に野いちごを摘むと、なんのためらいもなく、それを口に放りこむ。
さすが山ガール。
それを小生にも勧めてくる。
正直、腹を壊したくない小生は、遠慮したが、屈託のない笑顔で勧めてくる彼女を断ることができなかった。
パクリ おお、う、うまい! 甘酸っぱくて、それは確かにイチゴの味であった。
また、彼女は植物の知識が豊富でいろいろと教えてくれた。
さらに珍しい植物の種を見つけると手にとって、持ち帰っていた。 驚いたのは、彼女は山に捨てられたペットボトルなども拾っていたのだ。
念のために書くが、別にペットボトルを集めて金にしようというのではない。山のごみを拾ってきちんと下山後にはゴミ箱へ捨てている。 都市部ではさすがに少なくなったが中国ではまだまだ、ごみを道路の放り捨てる奴が多い。
そんな中での彼女の行動には感動すら覚えた。
それから、彼女としばらく旅を続けることになる。
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